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貸出と返却の積み重ねがかたちづくる図書館コレクションのすがた

図書館

“floating collection”と“seed lending library”には共通するところがある、というやや妄想めいたお話です。



まずそれぞれについて簡単に説明しますね。floating collectionは以前のエントリで触れましたが、(複数館で相互貸借を行っている、あるいは借りた本を任意の図書館に返却できるという環境で)返却された図書を所蔵館ではなく自館の“蔵書”として保持するというしくみです。一方のseed lending libraryは最近「E1398 - 公共図書館で“種,貸します”」で紹介されたように、図書館で種を貸すという取組みです。利用者は借りた種を撒き、育て、できあがったものから種を採って、返却する。このサービスの面白さのひとつはここにあると思っています。

この貸出サービスの開始に関わった人たちは,これらの種子が地域で育てられ,採種が何世代か繰り返されることにより,この地域に適応した種子のコレクションができると,期待を膨らませている。



さて。このfloating collectionでは、しだいにその図書館でよく利用される本が溜まっていく。seed lending libraryでは、その土地に特化した種子ができあがっていく。もちろん時間はかかるけれど。なんか似てると思いませんか?

両者から共通して浮かび上がってくるのは、ひとびとの貸出・返却という基本的な利用の積み重ねによって、コミュニティになじんだコレクションができあがっていくというイメージです[*1]。おもしろいなぁ。河の流れで削られて、地形がしだいに変化していくような、そんなゆったりとしたものやと思いますが。

ここで利用者は、リクエスト(購入希望)のような方法で自身のニーズを明示的にコレクションに対して反映させたわけではないんですよね。もっと機械的な、営み。ただ借りて、返しているだけ。その繰り返し。声高な「ユーザ志向!」とは違う。そこに図書館の意思は介在していない。この感じ、『一般意志2.0』を読んだときのことを思い出しました。あるいは、GoogleのUI改善。

もちろん、そんなうまくいかないとは思うんですけどね。



ただ、このイメージを少しだけ現実化させるものが電子書籍のPatron-Driven Acquisition(CA1777参照)なのかもしれない。利用者の意識としてはただ使っただけ。それが自動的に購入され、コレクションに追加されていく。……うーん、これはちょっと言いすぎかな。



業界ではあれこれある“貸出”のはなしですが、違った光の当てかたもあるんじゃないかなぁって思ったりしながら朝の通勤電車で書きました。


*1:【2013.3.5追記】@waterperiod さんから「貸出履歴の現物蓄積?」というコメントをいただき、おおっ、なるほど、“集合的貸出履歴の可視化”としてのコレクションという見方もできるなぁと思いました。https://twitter.com/waterperiod/status/308697248135520256