本物と複製とデジタル化と

前日とは打って変わって寒空となった3月10日,キャンパスプラザ京都で開催された国際シンポジウム「文化財の保存と科学技術―日本とイタリアにおけるデジタル映像化の現状と未来」に行ってきました.京都大学総合博物館で3月24日まで開催中の「ウフィツィ・ヴァーチャル・ミュージアム」を記念したものです.

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ウフィツィ・ヴァーチャル・ミュージアムは,イタリアのウフィツィ美術館の所蔵作品10点を日立のDigital Imaging Systemsプロジェクトの協力を得てデジタル化し,その高精細画像と,そこからプリントアウトした原寸大複製とを楽しむという展覧会です.様子については朝日新聞が動画・写真つきでまとめていて分かりやすいかな.10点というとなんだか少ないと感じてしまいますが,イタリア側の「ルネッサンスを理解するためには少ないほうがいい」という意向があったんだそうです.

文化財の保存というのは,正直数年前までほとんど興味がなかったテーマです.ただ,震災と関わっていくなかでだんだん関心を持つようになってきました.関心の持ち方が分かってきた,というべきかな.また,学部生時代に出会ってそのあまりの渋さとかっこよさに衝撃をうけた岡田温司先生(動画でも登場)の姿を久しぶりにお見かけしたいというミーハーな動機もありましたが^^;.




記録

シンポジウムは3時間.諸挨拶に続いて,以下の5人からそれぞれ20分程度の講演があり,最後に40分ほどの全体討論が行われました.

  • 森岡隆行(日立)「ウフィツィ・ヴァーチャル・ミュージアムを支える絵画のデジタル化技術」
  • 高妻洋成(奈文研)「壁画調査へのデジタルスキャニングの応用」
  • オリンピア・ニリオ(eキャンパス大学)「デジタル化プロジェクトを通して見るヨーロッパの文化財の保存と活用」
  • 門林理恵子(大阪電通大)「デジタル文化遺産が変えるミュージアム体験」
  • フェデリコ・ルイゼッティ(ノースキャロライナ大学)「臨場感のテクノロジー:デジタル時代の芸術作品」

講演予定だったヴィート・カッペッリーニさん(フィレンツェ大学)は都合がつかず欠席でした.なお,イタリア人2人の講演については時間短縮のために通訳なしのレジュメ読み上げ方式(日本語に翻訳されたレジュメが配布されていて聴衆はそれを読む).

森岡講演は日立DISプロジェクトの紹介やデジタル化の技術的な話でした.コストのかかるデジタル化事業は継続しないため,撮影からデータ完成までのデジタル化作業をなるべく自動化するという姿勢がメーカーらしい.撮影はウフィッツィが休館日である月曜日に朝から夕方までかけて行ったそうです.その高精細さについてボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」を例に説明がありました.30ppiの写真 x 1枚,90ppiの写真 x 9枚,300ppiの写真 x 225枚,1200ppiの写真 x 1550枚,という4種類の写真をデジタル一眼レフで撮影し,解像度の一段低い写真をベースにしてより解像度の高い写真をタイル的に配置していくんだとか.1550枚の写真をつなぎあわせ,最終的には拡大しても歪みや繋ぎ目のない,103億画素という高精細デジタル画像ができあがる.

高妻講演はユーザ側の話ということで,高松塚古墳キトラ古墳の壁画について.テラヘルツイメージング(THz spectroimaging)という耳慣れない単語が登場しました.解体した壁画のデジタル化作業のようすを動画で見せてもらいましたが,壁画を水平方向に寝かせて,それを4枚の壁のような機械で囲み,上側からゆっくりとスキャンしていくというものでした.800dpiで撮影し,1枚あたり2〜3時間かかるんだとか.調べてみたら,Scamera Museum Roboという機械っぽい.

ニリオ講演はムセイオンから始まりEuropeanaをはじめとする昨今のプロジェクトまで…….知らないプロジェクトが多く,欧州MLAの動向をちっとも追えてないなと反省しました.

門林講演はミュージアム体験(Museum Experience)を「ミュージアムで/展示品を/見る」ものと(単純化)したうえで,将来のミュージアム体験は「至る所で/あらゆる文化遺産を/多様なコンテキストで詳細に観察する,分析する,操作する,議論する」になる,そしてそこでは「可視化」「インタラクティブ」「ネットワーク」がキーワードになるだろうと整理していました.それを踏まえて,ご本人の関わったデジタル化プロジェクト(バディア家の祭壇画など)を紹介していました.この方,存じ上げなかったのですがデジタルゲーム学科教授というのが興味深いです.

ルイゼッティ講演は哲学的な内容で……ベンヤミンからスタートしたと言えばなんとなく雰囲気が分かってもらえるでしょうか.ニリオさん含めて日本語レジュメを読んでみたい方はお声がけいただければ.

全体討論は聴衆からの質問に答えるかたちで展開していきました.

最後は岡田先生がデリダの「アーカイブの病」[*1]に言及しつつ,締めの挨拶.




感想

全体的な感想として,あんまり「保存」や「科学技術」っていう内容ではなかったなぁというのが素直なところです.むしろ「デジタル化とはなんなのか」という古くて新しい問いがそこにはあったように感じています.デジタル化されたものとは,何か.デジタル化できるものとできないものの境界線は,どこか.

そんなわけで,講演のあいだじゅう頭の片隅でずっと考えていたのは「ほんもの」と「複製」と「デジタル化したもの」の差異や,それぞれの固有の価値についてでした.

メモとして書きなぐったことのなかに次の2つがあります.正直何を言っているか分からないとこもありますが,そのとき頭に浮かんだイメージには価値があるだろうということで,手を加えずにはっつけてみます.

あるオブジェクトと,その複製があったときに,オリジナルのほうに高い価値が置かれるという考え方にはなじめない.それぞれの価値は別種で,等価だ./だから複製に依拠した研究活動というものの可能性を考える.“同じ”コンテンツであろうと,そのオリジナルと,複製と,どちらに基づくかによって,文脈がパラレルワールドのように分化していく.

「オリジナルであること」にしか価値がないものに,本当に存在価値があるんだろうか?[*2]

自分は「ほんもの」というものに対する疑問,分からなさをずっと抱えています.なぜほんものが大切なのか.どうしてほんものじゃないといけないんだろうか.自分は目の前にあるものが「ほんもの」か「にせもの」かなんて見抜けないと思います.

サンプルが若干偏ってる気がしますが,知人によると歴史学とか国文学とかでは「(デジタル化資料ではなく)現物を確認しろ」と言われるんだそうで.初めてそれを聞いたとき,自分の専門が数学ということもあって,そんなことを言われる世界があるんだということにショックを受けたのを覚えています.

思い返してみると,図書館員になることを選んだ理由というほど大げさなものではないんですが,デジタル化や電子図書館というものが進んでいったときに,リアルの図書館はどういうかたちになっていくのかを知りたいと思っていました.かれこれ8年とか9年もむかしの話になっちゃうんですけどね.「リアルの図書館 - 電子図書館 = ?」という,引き算.そこには何が残るんだろう.何も残らないんだったら…….

まあ,こんな引き算はきっとできないんだろうと今では思っています[*3].

討論で登場したフレーズを借りれば,「デジタル化はコピーではなく別の感じで作品と触れ合うことができる」(ニリオさん),あるいは「展示では作品のルネッサンスを感じた」「新しい命で,新しい方法で,現れてくる」「オリジナルとコピー,本物と偽物.デジタル化されたものはこのどちらでもない」(ルイゼッティさん)ということなんだろうと.



何がデジタル化できて,何ができないのか.たぶんこれからももやもやとこだわっていくんだろうなぁと思っています.


*1:実はまだ読んでいない大根エントリ.http://d.hatena.ne.jp/negadaikon/20130206/1360159840

*2:「博物館では人々は複製の前では立ち止まらない」という発言を受けて.

*3:数学的に言えば,代数構造が異なる.