星がきれいだったらしいあの夜のこと

あの日から2年になります[*1]



この2年間,正直なところ自分はそれほど積極的に震災というものに関わってきたとは言えません.それに対して引け目や申し訳なさを感じることも多いです.ただ,遠く離れたところからですが,毎日自分なりに向き合ってきたとは言っていいんじゃないかとは思っていて…….僕は何かにつけて気持ちを持っていかれやすい性質なので,あまり踏み込みすぎるときっとやっていけないだろうという(ちょっとずるい)判断もありました.



というのも,震災と関わることは仕事のひとつでもあったからです.

このページを見ると,係のみんなでたくさん書いてきたなぁ……と,なんというか,自分たちのことながら感心してしまいます.CA-Rが,651件ですか.出勤日ベースで考えると,毎日1.5件くらいは書いてきた計算になります.それだけのニュースが毎日毎日あったんだ,ということに改めて驚いてしまいます.そういえば,自分が最初に書いた記事も震災関連のものだったんでした.

個人的にも,はてなブックマークで「東日本大震災」というタグをつけてきた記事の総数は1,877件になっていました.平均すると1日2〜3件は必ずなにかしらブクマしていたんですね.情報収集では,実業史研究情報センター・ブログに大変頼りっぱなしです.いつもありがとうございます.毎日ありがたくチェックしてます.

こんなふうにほそぼそとですが,続けてきました.今日からも変わらぬペースで刻んでいきたいと思います.



さて.震災当日のことに思いを馳せるとき,“夜空いっぱいの星”というイメージが頭に浮かびます.

ちょうど1年前かな,仕事で仙台に出張したときに,せんだいメディアテーク3がつ11にちをわすれないためにセンターのスタッフの方に話を伺うことができました.インタビューの途中でほろっと出たのが,「あの夜は本当に星がきれいだった」ということばで.そのとき施設内でやっていたイベントの「星空と路」という名前はそのエピソードに由来していると聞きました.遠く離れた京都で自分がその夜何をしていたのかちっとも思い出せないけれど,それ以来なぜか自分も星を見ていたような感じがしていて.……すみません.

もうひとつは,茨城県に住んでいる id:haseharu が震災の2日後にとあるMLに投稿したメールのせい.いま引っ張りだしてきたらこんなこと言うてますね.

特に水戸市内でみた真っ赤な夕日と停電で明かりがなく夜には空いっぱいにひろがった星空が忘れられません。

当日は本当に心配して,翌日に生きてますツイートがあるまではほんとに気が気でなくて.それなのになんだこのメールはお前wと,当時は力が抜けたのを覚えています.まあ,彼らしいっちゃらしいですけどね.



土曜日は22度まで上がったというのに今日は最高気温が9度だとかいう京都市内ですが,今夜はどんな空が見えるのかな[*2].


*1:1年前にはこのブログはなかったので,初めて刻んでみます.

*2:なんだこのたまこマーケットみたいな締め.