201805

仕事

昨年度関わってたプロジェクトの報告書がリリースされた。延長線上にあるようなプロジェクトにふたたび、今年度前半関わっていくことに。
http://current.ndl.go.jp/node/35938

4月から1年続く予定の、某有名な方々との共同連載。自分のターンの1本目が刊行された。提示された4000字弱というボリュームは、適当なレポートのあらすじをゆるゆると紹介するだけで消化できてしまうけれど、それではあんまり面白くないしと悩みに悩み、COARのNext Generation Repositoriesというテーマにすとんと落ち着いた。内容は昨年6月のオーストラリア出張でKathleen Shealerのプレゼンを聞いて理解したこと頭に浮かんだことがベースになっている。NGRはテクニカルな側面ばかりに注目してしまうけど、そうじゃない、そのコアとなるビジョン(というか世界観というべきか)について自分の理解したところを共感していただくために、最終節に至るまでぐだぐだと愚痴ないし悲哀のようなものを綴った、そんな、前置きの長い文章。次回は8月号。引き続き、さらっと読めるものにするために、さらっと書きたい。

GWの合間は職場の刊行物に書く報告記事のドラフトを書いていた。2日間で2本、いつにない集中力を発揮できた(頭のなかにあるものをただ出すだけだから楽ちん)。

おおむね残業を控え(教習もあったし)、スローペースぎみで働く。とはいえ、Crossref DOI、CHORUS研究会、初任者研修、NII出張、教授会FD、デジタル化画像公開、とてんこもりではあった。最終週は無理ぎみにスパートをかけて某案件の会議資料を作成した。

月末、早くも梅雨入り。そして梅雨入りしたとたんに雨が降らないというのも例年のこと。蒸し暑くて蒸し暑くてもう職場にいるだけで効率が落ちる。家で仕事するのが最大の業務効率化だと思わされるのは6月だけで十分なんだけど。

生活

GW後半に台湾へ(バニラエアのセールにやや乗り遅れつつも往復で2万)。昨年11月の高雄・台南、今年1月の台北、に続いて3連続になる。今回は、福岡→桃園国際空港→バスで台中→台鉄(自強号)で台北へ→MRTで北投温泉→桃園国際空港→福岡、というルートだった。傘がいっときも手放せなかった前回の冬旅とは異なり、好天続きだったのが嬉しい。猫空のロープウェイ(あんなに高く、あんなに長いとは……)、ずっと行きたかった北投図書館、9年ぶりの士林夜市。そして台中、期待していたよりもずっと楽しかった。台北は東京と同じく目当てのスポットが分散していてMRTを駆使してもそこそこ廻るのが大変。その点、台中は比較的まわるのが楽(宿で自転車を借りられたのも大きい)。台南よりは都会で、宮原眼科(&第四信用合作社)や臺中國家歌劇院(伊東豊雄!)などモダンでフォトジェニックな見どころも多い。グルメでは、今回は黒糖タピオカミルク(≠タピオカミルクティー)に尽きる。珍煮丹、老虎堂(オープンしたて)、どちらも◎。陳三鼎は諦めた。豆花もいくつか食べたのだけど、台南の安平豆花を超えるものにまだ出会えてない。お土産はまったくと言っていいほど買わず、台中の川端でふと立ち寄った雑貨屋で手にした陶製のペンギンの置物くらい。失敗としては、PEN-Fのサムレスト?のレザーをどこかで落っことした。

計画通り、月末に自動車学校(二輪免許)をぶじ卒業。第1段階のラストで調子がかなりいまいちだったので憂鬱になっていたけど、第2段階のスタートは楽しい方が指導員に当たってのびのびとできた(雨風のなかで運転するのは初めてでややびくついたけど)。と思ったら中旬に調子を崩し、転倒する日々が続く(一度は左足を挟んでかなり痛かった)。低速で半クラアクセルふかすのがうまくできてないんだろうけど……。モチベーション向上も兼ねて、バイク選びに夢中になる。雑誌を眺めまくる。あちこちでカタログをもらいまくる。ディーラーや中古車店に行ってみる。維持費は250ccでも400ccでもそう大差ないと感じるんだけど、400は新車の選択肢がほとんどない。スーパースポーツよりはネイキッド。クラシカルは好みだけど、どクラシカルなものよりはネオスポーツカフェくらいが気分に合ってる。Honda CB250R、Honda Rebel250、YAMAHA MT-25。どれも良くて悩ましいし、しだいにどれでも良いからほしいという気分になってくる。ひとつに決められない。憂鬱と不安をなんとかやりすごして、第2段階を無事にストレートで終了し、翌日の卒検も一発合格。坂道でエンスト2回した以外は特にノーミスで、リップサービスかもしれないけど「今日の受験生のなかで一番丁寧な運転だった」と言ってもらえてほっとした。ちゃんと卒業できてほんとよかった……。で、その足でバイクの成約に向かった(後述)。

トレーニングも継続。数日間のインターバルを設けて、プランクチャレンジ、プッシュアップ、スクワット、背筋、あたりを行っている。

ZOZOSUIT、発表当日にオーダーしていたのがようやく届いた。計測に苦労するし、何度か試すと数字が結構ずれるし、なんか不信感。。

夢二展、ミュシャ展、リトアニアの写真展を見に行った。東京ステーションギャラリーは初めて中に入り、ミュージアムショップの充実っぷりに散財しかけた(なんとか平静を取り戻し、にじゆらの東京駅手ぬぐいだけで切り抜けた)。

買い物

びっくりした。バスルームの頑固な黒カビがマジできれいに取り除けた。そんなまさか。。

開襟シャツが欲しい、と探していたけれどどうにも自分に似合う気がしなくて(試着もせずに言うが)。シルエットに惹かれてHAREのBIGダウンネックシャツを買った。首周りの開きっぷりも良い。店頭在庫がなかったので素材やサイズ感を教えてもらって、ZOZOでポチった。翌日に1000円オフクーポンが提供されるという憂き目に合うも、気づいたときには売り切れていたのでまあ良しとする。

キナリノで知った鳥飼のmiddleというお店で、挨拶代わりの黒ポケT(Mサイズ)を購入。他のアイテムでは、ヴィンテージ感あるチノパンや細身のスウェットパンツも気になった。でも次に買うとしたら白シャツかも。店舗は小さな公園に面していて、隣は以前から気になっていたamble(なぜかお休み)だった。鳥飼/別府というエリアはあんまり立ち寄ったことがなかったけど、PLASE STORE(文房具屋)やジルウエット(パン屋)も良かった。

初めてのバイクとして選んだのは、CB250R(5/22発売)。卒検通過のその足で成約しに行った。YAMAHA MT-25と迷ったけど、未だにちょっと迷ってるけど、最後はスタイリングで決めた。6/19納車予定! それまでに試験場行って免許を書き換えてもらわんと……。

桜坂にあるIMURIのチーズケーキ、母の日&父の日のプレゼントに贈った。ずっと気になっていたけど自分でも食べたことがない。IMURIショコラと2本立てにするとちょっと重たいかと思い(実家の冷凍庫がいつもギシギシに詰まっているのを思い浮かべつつ)、生チョコとのセットにした。

読書

今月はたくさん読んだ。

ブレイズメス1990 (講談社文庫)

ブレイズメス1990 (講談社文庫)

ドラマに影響され、GWの谷間に原作に手を出す。幸い職場で全部借りれた。読んでみて、テレビドラマ版(あれはもうインパクトファクターを戯画的に描いて盛大に皮肉ってるとしか思えない)がずいぶん大胆に改変していることを知った。スリジエセンターの「革命とはこころに灯った松明の火だ」という(やや安っぽい)セリフに思わずぐっときてしまった。続きの『極北ラプソディ』『極北クレイマー』に手を付けたいところだけど、ひとまず我慢。

革命前夜 (文春文庫)

革命前夜 (文春文庫)

文庫版発売時に店頭で平積みさせているのを見かけて、東ドイツドレスデン!バッハ!と気になっていたものをKindle文春祭りで購入。台湾の帰国便で一気読みした。存じ上げなかったけど、須賀しのぶ、良い。ぐいぐい読ませる。

安楽死を遂げるまで

安楽死を遂げるまで

積極的安楽死、消極的安楽死、自殺幇助、セデーション、の違いを理解すること。日本を含めた各国で取材を重ねるなかでの著者の変化、というのがひとつのポイントではあるんだろうけど、長年大賛成の私には特に影響するものはないのだった。「これからは、頂点に達した人生が衰退に向かうだけです。せっかく良き人生だったものが、体の衰弱によって失われてしまう。それだけは避けたいの」「医師が特権的に抱えていた治療の決定権を患者のもとに返す運動」「愛する人の苦しみを消し去ってあげるために、自分の「生かしたい」というエゴよりも、相手の「死にたい」という願いを尊重してあげたということだろう。」「欧米人は、自己決定や個人の死を、どうしてこうも易々と肯定するのだろうか。」「「死は個人のものなのか」、それとも、「死は集団や社会のものなのか」という問いがあるとする。」「安楽死は『死は自分の私的な事柄なのだから自分で決めるべきだ』(死の自己決定権)という思想に支えられていますが、日本では自らの生き方すら自分で決められていません」 テクニカルな議論はあれど、本質は「命は誰のものなのか。個人のものか。個人を含めた周囲の人間のものでもあるのか。」という問いだろう。自分は「せめてこれくらい個人のものにさせてくれないか?」という立場。

また、桜の国で

また、桜の国で

続けて、須賀しのぶ。職場で借りた。今度の舞台はポーランド。ドイツに生まれたユダヤ系、シベリア生まれでアメリカ国籍のポーランド人、スラブ系にしか見えない日本人、の物語。ショパンの革命のエチュードが主旋律に、1944年8月1日17:00(=W、というらしい)のワルシャワ蜂起を描いている。前章となっている1920年・22年の日本赤十字社によるポーランド孤児受け入れという史実は知らなかった。ハルビンでドイツとの協定に背いてユダヤ人を上海へ逃した樋口季一郎という人物が登場し、どうも岐阜県大垣市にゆかりのある人だという……こちらも恥ずかしながら知らなかった。杉原千畝岐阜県出身だし、なんか多いな。

出版直後に入手していた田中あずささんの本をようやく読んだ。内容としては、いつかのイベントで聞き知ったことも多い。改めて、「教授のサポートは私たちの仕事の最優先事項です。私が新しい職場に移ってはじめにしたことは、教授陣との面談でした。彼らの研究や授業を知らずして、コレクション構築もできませんし、そのための予算管理の目途も立ちません。彼らの学生の特質もわかっていなければレファレンスの準備もできません。」(p.123)とさらっと書かれているのを読むと衝撃を受ける。帯の「それは日本の図書館の参考になるのか。」という問いかけに対する答えは明示されていない。ライブラリアンのスキルという意味では、彼我の差はそれほど大きくないのだろうと思っている。ただし、雇用制度(ジョブ型)、サブジェクトの知識、裁量、予算、……。

表紙を飾る聖ニコラス海軍大聖堂(St. Nicholas Naval Cathedral)の、鮮やかなペールブルーと一面の白雪のコントラストに目を奪われる。著者は自分と同い年。小学生のころソ連崩壊直前にモスクワを訪れ、25年ぶりにロシアを訪れたという。本書の舞台はサンクトペテルブルク(旧称:レニングラード、ペテログラード)。メインテーマはショスタコーヴィチ交響曲第7番、別名「レニングラード」。この曲は、ナチスドイツによる900日のレニングラード封鎖(1941年9月8日〜1944年1月18日)がひたひたと近づいてきていた1941年7月に作曲が開始され、12月に完成された。初演は1942年3月に中部のクイビシェフにて(英米にもラジオ放送されたがレニングラードには流れず)。ようやくレニングラードで初披露の日を迎えたのは1942年8月9日。凍結したラドガ湖に敷かれた「命の道」という名の氷上道路のおかげで最悪に飢えた時期は脱してはいたものの、まだ封鎖は終わっていなかったレニングラードで、第7番の演奏がどれだけ市民を勇気づけたことか、というのが本書のハイライト。「また、桜の国で」ではワルシャワ蜂起のドンパチが痛々しく、一方、レニングラード封鎖は「死因のほとんどが餓死・凍死によるもの」ということで、厳冬のなかで死体が淡々と重なっていく寒々しい光景が頭にこびりついて残った。飢えネタついでだと、刻んだキャベツとゆで卵をマヨネーズで和えてフィリングにしたピロシキというのが食欲をそそった。また、ショスタコーヴィチの祖父はポーランド出身の革命家で、シベリアに追放されていたらしい。これもちょっと「また、桜の国で」とつながる。

中央線がなかったら 見えてくる東京の古層

中央線がなかったら 見えてくる東京の古層

職場で借りた。「中央線という鉄道が中央線沿線の地域、ひいては東京全体の基本構造を見えなくしている」 異なる時代の地域構造が、きれいな層となって堆積しているのではなく、ところどころで部分的に露出し、全体としてキメラのようになっている。そこに気づき、違和感を持てるようになることの面白さを教えてくれる。あと、素人なので「歴史的なポテンシャル」みたいな表現にぐっとくる。個人的には阿佐ヶ谷の章がいちばん面白かった。おかげさまで、出張の空き時間に阿佐ヶ谷に足を運んだとき、阿佐ヶ谷神明宮に立ち寄ったり(ちょうど結婚写真を撮影しているカップルがいた)、うねうねしたパールセンターを歩きながらここは古道だったんだなあと楽しめたりした。府中に111年(!)創建の大國魂神社があるらしい。Kindle版があれば買って手元に置いておくんだけど、紙しかないということなので保留中。

中央線誕生 (交通新聞社新書)

中央線誕生 (交通新聞社新書)

中央線つながりで、東京出張の道中にKindle本を読んだ。現在のJR中央線の前身である甲武鉄道のあらましについて、創業者の岩田作兵衛と雨宮敬次郎を中心に描かれている。岩田は岐阜県笠松町の出身という(笠松って競馬場のイメージしかないけど)。「中央線の中野ー立川間はなぜあんなに真っ直ぐなのか」という問いに対する答えは、結構あっけなかった。中央線ができたせいでそれ以前の構造が見えづらくなっているというのは『中央線がなかったら』の主張とも共通している。新技術は忌避され、うまく乗っかれるひとは得をし、そうでないひとはついていけず、あとからしがみついて。話変わって、中央大学という名称の由来は中央線にあるのかと勝手に思い込んでいたけどそういうわけでもないのか。東京法学院大学→中央大学と改称されたのが1905年。その頃には八王子駅甲武鉄道八王子駅は1889年開業)はあった。甲武鉄道鉄道国有法で国営化されるのが1906年で、改称当時はまだ中央線ではなかった。いや、そもそも中央大学は現在のJR中央線八王子駅からずいぶん離れたところにあるようなのでこうして結びつけるのがおかしいかったのか(すんません)。ふたつの八王子駅の位置関係のズレのせいではなさそう。

台湾の若者を知りたい (岩波ジュニア新書)

台湾の若者を知りたい (岩波ジュニア新書)

岩波ジュニア新書の電子化具合を見るとKindle本が出るのは数年後か……と気が遠くなったので妥協して紙で買った。小学校、高校(高級中学)、大学の様子。いくつかの学校を取り上げ(GWに付近を観光した台中一中も登場)、そこでの生活を紹介するとともに、何名かの生徒に実際にインタビューをしている。映画「あの頃、君を追いかけた」を観ると、高校〜大学の大雑把な様子はつかめる。遅刻をタブレットで管理したり、授業で教師がマイクを使ったり、板書をスマホで撮影しても問題なかったり、というのは面白い。試験制度はしょっちゅう変わるようでここで詳述されているのもスナップショップに過ぎないそうだ。大学生は就職活動をせず、日本のような新卒一括採用ではないということで、ジョブ型社会なのかな。しかし、「軍訓教官」という軍人が学校にいるという制度は日本では考えづらいもので、ビビる。台湾ではピンインではなく注音符号というものが使われている、というのは恥ずかしながら知らなかった。18歳以上になると筆記試験まで250cc未満のバイクの免許が取れると書いてあったけど、ウェブで調べてみると実技もあるようなんだけどなあ。。そういえば、2009年に中国出張(これが人生初の海外旅行だった)から帰ってきた後、しばらく80后(パーリンホウ)や90后(ジョウリンホウ)に関する本を読み漁ったのを思い出す。その国の若い人たち(というか自分と同世代の人たち。そういうとすでに若者ではないが……)がどういうものを見て育って、どういうものを好きで、どういうことを考えているのかというのが一番関心のあるところなので、こういう本が増えてくれると嬉しい。