出向によって得られるもの、という問い

# 某所から北山に出向中のあのひとのことを考えつつ

ちょっと前までよその機関に出向していたこともあって、「出向によって得られるもの」についてときおり考えてしまいます。なにを得て、どのように成長できるのか。

これは、出向が決まったころからずーっと意識していた問いでしたが、帰ってきて8か月が過ぎたいまでも答えをうまく言語化できていません。実際には、自分のなかでそれなりの回答はいくつか用意していて、誰かに聞かれたときに口に出してみることはあるものの、答えながらどうもうそーっぽく聞こえてしかたがない、という意味で。

あちらで仕事はしっかりしてきたつもりですが、はて、自分はうまく「出向」できていたのかなあと、ときおり悩むわけです。働く場所が変わるのは、正直しんどいです(通常の学内異動も同じことですが)。しんどい思いをするのだからできるだけたくさんのことを手にしたい。でもなにを手にできたのか自分でもよく分からない。その状態は地味に不安です。




大学コンソ京都会報から

http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?frmId=2753

大学コンソーシアム京都の会報No.45で、出向特集が組まれていました。京大と大谷大の人事担当者へのインタビュー(各1p.)と、大学コンソーシアム京都への出向経験者3名の座談会(2p.、現・出向者が聞き手役をしているのがうまい)が掲載されています。

そのなかで、京大の永井さんは出向者への期待について以下のように語っています。

違う組織で働くことによって、異なる価値観や新たなノウハウにふれてもらうことに最も期待しています。学内とは全く違う仕事を経験してもらい、新しい動きに機敏に対応できるよう、力量を向上してほしいと願っています。

また、大谷大の山崎さんは次のように。

出向中は、所属大学の異なるものが共に働くことが最も重要な点だと考えています。業務を進めるなかで違いを実感する等、発見があり互いに学び合う効果を期待しています。

どちらも「異質なものとの出会い」を期待されているように思います。ただ、その「異質なもの」はほんとうに出向しないと出会えないものなんでしょうか?と考えてしまいます。もちろん、他の方法で出会うよりも出向のほうが低コストで済むということはあるでしょうが、すべてのひとが出向を経験できるわけではないのもじじつでしょう。また、そういった「出会い」がほんとうに必要なひとには出向の機会が与えられてないというたぐいの問題もあるらしいです(伝聞)。

続く座談会では、みなさん上手に出向経験をまとめているなあと感心します。どの方も出向終了から3年程度過ぎており、そのくらいになると余計なものが削げ落とされて、シンプルな「得たもの」が答えられるようになるんでしょうか。読んでいると、大学コンソーシアム京都は小規模で、裁量が大きく、フットワークの軽い組織だと伝わってきます。(同じ大学の事務系職員でいちばん仲の良い)野田さんがかつて出向していたことがあって、とても楽しかったと聞きました。

座談会では、

  • コンソ京都ならではの業務経験について順にお聞かせください。
  • 出向経験で得たことや、現在の業務で役に立っていることはありますか?
  • 先ほどの話にも関係しますが、お三方とも出向で得た大きな財産として「人との繋がり・ネットワーク」をあげられていますが、学内でも繋がりはあると思います。違いはあるのでしょうか?
  • 大学ごとの文化・価値観の違いとありましたが、具体的にはどういうものですか?
  • 出向経験で得たことや、知った文化の違いなどを自大学で他の職員さんに伝えることはありますか?
  • 多くの刺激を受けたコンソ京都への出向を人に薦めますか?

という6つの質問が投げかけられており、自問自答の参考にしました。




とある勉強会から


http://www.greenhorn-network.jp/article/379673049.html
http://www.greenhorn-network.jp/article/376095373.html

関東の若手大学職員勉強会Greenhorn Networkで、「大学職員の『出向』を考える」というテーマの勉強会が開催されました。ウェブサイトでは素性がぼかされてますが、大学基準協会、大学子会社、私立大学関連団体(私大連とかでしょうか)への出向経験があるお三方からの報告だったようです。子会社というのは私大ならではですね。

勉強会のようすが(ほんのちょっとだけ)ブログで報告されています。

発表者に共通していた点として、「出向」は外から大学を見ることができる貴重な機会であり、出向先での現場業務経験と、それを共にすることで築かれる絆や人間関係が後の業務で非常に活きてくるということでした。

そして、「出向」をネガティブに捉えるのではなく、自分の成長の場としてポジティブに捉えることが重要である、という言葉が印象的でした。

たしかに素朴に考えると「外から大学を見る」機会というのが最大のメリットに思えますが、自分の実体験としては、外に出ると見えなくなる、見なくなる、どうでもよくなる、でした。それも含めての「見る」なのかもしれませんが。「絆や人間関係」も、どうなんかなあ……。批判するつもりはまったくないのですが、このソーシャルの時代に、「出向で得たものは人脈です(きりっ」と答えるのは、少なくとも自分にはできないなあ……。いやもちろん出向先では、マジで尊敬できるひとたちのかっこいい姿を目に焼き付けたし、以前から知り合いだったひとたちと「だめだこいつらあほすぎるw」と心底バカにできるくらい仲良くなったりしました。でも、人脈なんて出向なんてしなくても手に入れてやる!と考えてるひとのほうが友だちになれるというか、そうやってガツガツしてるひとがたくさんいる世界のほうが活きがいいんじゃないか(疲れそうだけど)というか、そういうのはあります。

いずれにしても、いろんなひとの共通点をくくって抽象化すると、やっぱり上で引用したふうになっちゃうんだろうなという感じ。でもこれくらいなら出向しなくても(実感はナシで)「言える」んですよね。出向しないと分からないこと、見えないことってなにかないのかなあと考えてしまう。




思うこと

そんなわけで、大学職員の出向についてネタをふたつ引き合いに出して考えてみました。なんとなく思うことはふたつです。

ひとつは、抽象的な「出向によって得られるもの」なんてじつはないのかも、ということ。自分の場合、出向による環境の違いよりも、担当する業務の変化による影響のほうが大きかったのですが、みんな、多かれ少なかれ同じようなものなのかなあ、と。当たり前ですが、どんな場所に出向して、どういった人たちと、どういう仕事をしたかによって、「出向経験」というものは大きく変わってくる。言い換えれば、「出向」は特別なものじゃない、本質的には「学内異動」とたいして変わらないんじゃないか、ということを思いました。特に、「CAポータルはみんなで作るものだよ、出向なんてしなくても関われるんだよ」というのが先日のCAフォーラム@図書館総合展でわたしの発したメッセージだったわけであり……。

もうひとつは、「出向によって得られるもの」がいますぐ言葉にできなくてもいいのかな、ということ。答えを急がず、ちょっと我慢して、そのうち見えてくるんかもな、と立ち止まってみることが必要なのかもしれない。





みんな、どんなことを考えて出向してるんだろう。