カレントアウェアネス-E No.266感想

今回は6本中、外部原稿が5本。わたしも1本書きました。



■E1602■ 黒板による広報の可能性:京都大学吉田南総合図書館の事例

巻頭は古巣の皆さん。CA-E初の写真掲載、というパンドラの匣を開けてしまった感ある。

去年一年間働いていた職場の話で、自分が企画協力をした記事でもあるので、非常にコメントしづらい、です。最初は企画者の想いみたいなものをだらだらと書こうかとも思ったんですが、この記事に対してそんなことしても興ざめだしね……。あくまでひとつの事例報告なので、読んだ方に何かを得ていただけたらいいなと願うばかりです。

といいつつ、ひとつだけ。

多数のご想像の通り、この黒板広報は非常に属人的なものです。描き手が変われば、内容も、テイストもがらっと変わる。そのひとがいなくなったら、同じものは提供できない。みんないなくなったら、維持すらできないかもしれない。そこに継続性の危うさを感じるひとは多いと思います。それはなかのひとたちだって十二分に分かっている。けれど、たぶん、広報は“ひと”なんだろうと思うのです。“ひと”は“ひと”に惹きつけられる。属人的であることから逃げてはいけない。図書館のサービスは図書館員という、利用者とおんなじ人間が行っている。いま、図書館広報というものでなにより伝えなくてはならないメッセージはこれなんだろうと思っています。

黒板を書けない側にいる人間がこの事例を広く紹介したいと思った理由は、ただその一点に尽きます。



E1603■ 庭先の本箱“Little Free Library”,世界へ,そして日本へ

依田さん。

積年の想いを込めたなあ、という記事。一文目で敢えて「の」を四連続させているあたりとか。

Little Free Libraryという活動に注目しはじめたのは2011年の後半だった、と思う。最初のころは「これはなんだろう。重要な動きなんだろうか?」という戸惑いが強くて、同僚ともそんな会話をしていたと記憶している。例えば、それまでもたまに見かけた、使われなくなった電話ボックスを小さな図書館に変えてしまうような取り組みとどう違うんだろうかと。じつはその印象はいまでもそんなに変わってなくて、「その小さくてシンプルな仕掛け」が効いてるにしても、「普及の大きな推進力となったのは,たくさんのメディアに取り上げられたことだった」という一文に対して「どうして人々はこんなにもLittle Free Libraryに惹きつけられるのだろう?」という疑問が頭に浮かんでくる。記事では、トッドさんが「これはマジックのようなものだと感じ」たというくだりが紹介してあって、当のご本人も似たような不思議さを感じてはったんだなあと分かって、なんか嬉しくなった。

# マジック、っていいですよね。自分がマジックという単語で必ず思い出すのはスーパーカーの「Lucky」という曲で(ジュンジくんが言ったんだっけ?)。こういう魔法みたいな瞬間をいちどくらい手にしたいものだ、と思ったりします。



■E1604■ ディスカバリーサービスの透明性向上のためになすべきこと

書きました。1月にE1522を書いてから半年ぶりになります。自分の記事では初のCC BY。

6月に出たドキュメントなので取り上げるのが遅すぎなんですけれども。ユサコニュースさんを超える記事にするぞという後発っぽい目標を持って執筆しました。自分の記事はどうにも具体的な情報がぎっしり詰まって読みづらいものになりがちなんですが、たぶんそれで良い、自分はそういうものが読みたいんだ、と思ってるんでしょうねえ。最後、EBSCOさんの話は取ってつけた感が拭えないと思うのですが、字数的には限界だし(これで2000字ほぼジャスト)、さりとて触れないわけにはいかないし、ごめんなさい、という感じです。

編集担当(依田さん)のコメントを受けて都合4回ほど手直ししました。例えば、

  • 出だしちょっと飛ばしすぎじゃないか →ちょっとだけ抑えめに
  • セントラルインデクスと統合インデクスのどちらを使うか
  • インデクスとインデックスのどちらを使うか
  • "take specific measures"でmeasure=評価と誤訳していた点を修正
  • メタデータスキーマのくだり(原文は、robustなスキーマを推奨する、現在普及しているスキーマは〜である、というやや間接的な表現になっていて、現状のスキーマに対する不満足がニュアンスとして込められているように思える。そこをどう表現するか、しないか。)

など。誤訳んとこは完全にすっぽ抜けだったなぁ……(いや、文脈に引きずられたんです)。



■E1605■ 大学図書館のコレクション構築とデジタル・コンテンツ<報告>

日大・小山先生。

前回の池内さんのキリ番レポートの続編。冒頭、おふたりがどういう報告をされたのかも書いてある。

「筆者が特に印象を受けたのは,各大学がいずれも,デジタル・コンテンツ優先のコレクション構築方針を打ち出していたこと」。日本では、電子ジャーナルはともかく電子書籍についてはその段階まで行ってないようで、もちろん主な原因はそこまでコンテンツが充実していないことでしょう。仕事で選書をしていても、利用者として資料を探していても、ご存知のようにまだまだという感触。とはいえ、コンテンツが充実してきたときに、どう方針を振るのか、その方針をどういうしくみ(例えばPDA)で支えるのか、というのは今のうちに考えておかないといけないのだろうと思うのですが。

今回の記事で一番引っかかったのは、

その結果は,図書館員の役割や業務にも大きな影響を与えている。すなわち,デジタル・コンテンツの収集を優先することで,相応の手間がかかったり,課題はあったりするものの,冊子体資料に比べて手続きや管理が簡素化されたことなどから,より多くの時間を教育や研究,革新的な図書館サービスの開発にあてられるようになったとのことである。

というくだり。やっぱ手間かかってんだ、もうちょっと具体的に知りたいな、どうしたら減らせますかね、というところ。



■E1606■ 大学/研究機関はOA費用とどう向き合うべきか<報告>

さとしょー先生(先月も見かけたような)。8月のSPARC Japanセミナーの報告で、こちらもCC BY。

2012年12月のSPARC JapanセミナーでAPCというトピックががっつり扱われたときと比較すると、大学図書館業界の雰囲気(「機関としてAPCに向き合う必要性は感じているが,しかしどう関わればいいのかわからないという図書館側の戸惑いが感じられた」)はそれほど変わってないのですが、先日の調査報告書がまとまって、事例が把握できてきたのは大きな前進だなあ、と。いやもちろん、APCに対する認識は確実に広まってきているとは思うのですが。

原研の抜刷料のはなしはそれこそAPCなんていうことばを知るよりずっと前に id:haseharu から聞いていたものでした。ただ、当時は正直ピンと来てなくて、その重要性は2年前くらい前から理解できてきたところ。旭川医科大学の事例は大学図書館にとってひとつのモデルになりそう。「機関全体のAPCに関連する情報を図書館が得ることはそれほど難しくはない」に軽く驚き、「伝票等からはAPCであることや,支払先がわかりにくい場合も多く,集計は困難である」にへええと。このあたりは標準化の余地がありそうだなあ。

各大学のアクションとしては,やはり「機関がAPCに関与するにしてもしないにしても,予算化の前提としてOAに対するポリシーをまず固めること」と「いずれにしても判断を下すためには,現在のAPC支払い状況を把握すること」の2点ですか。



■E1607■ IFLA,電子書籍の貸出をめぐる各国の動向を紹介

支部図(しぶと)の横田さん。

IFLAのeLending Background Paperって、懐かしい。まだ2年しか経ってないのにもう改訂版が出たんですね。こうしてちょくちょく動向をアップデートしていってくれるんならとても助かるところ。

文末にある通り、メッセージとしては「図書館は,自らの役割を果たすべく一層声を上げていかねばならない」ということなんだろう。「技術的中立の観点から,紙の複製品も電子データの複製品も本質的には同じであるため,後者だけに制限をかけることは不当」というカナダの判例は非常に気になるなあ。記事中にOverDriveという単語がなかったのでまさかと思って原文を見てみると「OverDrive dominates the English language library market. 」とちゃんと書いてあった。そういや、紙の本がない図書館が誕生というニュースにはもはやまったく動じないけど、「電子書籍を出さない出版社からは買わない」というボイコットを行う図書館はあったっけ。などと、ネタが大きすぎるときは散発的な感想になりがち。

冒頭が電子書籍の定義から始まっていて、何をいまさらという感じもあるけれど、難しいですよねえ。自分とこのサービスでも、デジタル化した古典籍のコンテンツタイプを「電子ブック」にすべきか「デジタル化画像」にすべきなのかという問題について考えたことがあって。いまのところ、360 MARC Updatesで提供されている書誌データを「電子ブック」として登録しているのが現状で、そりゃ管理の観点からはすっきりしているけれど、ユーザの感覚からしたらどうなんだろうね、というのは頭の片隅にある。(PCではなく)タブレットスマートフォンで読むものが電子書籍だ、というのもひとつの感覚だろうし。



次は、9月25日(そのころはようやく夏休みのはず)。