九州帝国大学学位史その3(京都帝国大学福岡医科大学時代)


九州大学の歴史は京都帝国大学の一分科大学であった京都帝国大学福岡医科大学時代に遡る。

設立は明治36(1903)年。明治30年に第2の帝国大学である京都帝国大学が誕生してまだ数年というころ。当時の歴史をなぞってみると、東北と九州に同時に帝国大学を設置すべきか否かという議論がなされていたり、九州への誘致について福岡・長崎・熊本で競いあった際のさまざまなエピソードが残っていたり、当時は大学令の定めから単科大学を設立することができなかったために京都帝国大学の一部として設置されたという経緯があったりと、なかなかおもしろい。


この福岡医科大学時代にはどれくらい学位が授与されていたのか? というのが今回のおはなし。

当時のスキームとしてはその2のときと同じく明治31年学位令なので、授与根拠は、①大学院、②教授会、③博士会推薦、④総長推薦、の4種類のはず。


九州大学の『●年史』や『京都大学百年史』には目を通したものの、これに関して参考となる記述はさしてなかった。また、当時の京都帝国大学には京都医科大学(現在の京都大学医学部の前身)が別に存在していたが、『日本博士録』では福岡医科大学と区別して記述されているわけではない(当然だが)。ただ、医学部に注目すれば福岡医科大学開学から今年で111年という長大な歴史があり、これまでに『二十五年史』『五十年史』『七十五年史』『百年史』が出版されてきている(九州大学としては現在まだ『百年史』の編纂途中という段階)。

このうち唯一『二十五年史』が足がかりになった(『五十年史』『七十五年史』は学位については役に立たず。『百年史』はやはり気合が入っていて読みものとしては面白かった)。

九州帝国大学医学部二十五年史
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/1000355542
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464132

文系合同図書室で借りてきたあとで、NDLデジタルコレクションでインターネット公開されていることに気づいた。。


医学部二十五年史

『二十五年史』は基本的に年代記になっている。福岡医科大学の節(pp.21-58)に学位授与に関する記述が掲載されていたので、抜き出して表にまとめておく。なお、旧字を適宜改めた以外は原文どおり。

年月日 二十五年史の記述
明治38年1月24日 教授熊谷玄旦、同後藤元之助に医学博士の学位を授けらる。
明治38年1月25日 東京帝国大学医科大学卒業八代豊雄に大学院入学を許可せらる、之を大学院入学者の始とす。
明治38年6月12日 教授林春雄に医学博士の学位を授けらる。
明治38年12月14日 教授宮入慶之助に医学博士の学位を授けらる。
明治39年3月9日 教授小山龍徳、同伊東祐彦、助教授榊保三郎に医学博士の学位を授けらる。
明治39年9月19日 教授高山尚平に医学博士の学位を授けらる。
明治39年10月1日 教授高山正雄に医学博士の学位を授けらる。
明治39年10月29日 教授櫻井恒次郎に医学博士の学位を授けらる。
明治40年3月27日 学位授与資格審査内規を定む。
明治40年4月23日 教授石原誠に医学博士の学位を授けらる。
明治40年4月30日 教授稲田龍吉に医学博士の学位を授けらる。
明治40年6月13日 助教授石坂友太郎に医学博士の学位を授けらる。
明治40年8月28日 教授久保猪之吉に医学博士の学位を授けらる。
明治40年11月6日 教授中山平次郎に医学博士の学位を授けらる。
明治41年1月15日 助教授田原淳に医学博士の学位を授けらる。
明治41年3月9日 教授旭憲吉同中山森彦に医学博士の学位を授けらる。
明治41年9月27日 教授中金一に医学博士の学位を授けらる。
明治43年10月7日 教授武谷廣吉に医学博士の学位を授けらる。

計20名(うち助教授2名)か。明治38年に大学院の初入学者となった八代豊雄が卒業して学位を取得したかどうかは分からない。授与根拠の別についても記述がない。


しかししかし、

最初は騙されそうになったが、この20名がすべて京都帝国大学で学位を取ったというわけではなかった。これはあくまで京都帝国大学福岡医科大学の教授/助教授が取得した学位に関する記述でしかなかった。

実際、官報(NDLデジタルコレクションは目次検索ができる!)と突き合わせてみると、

氏名 区分 官報URL
後藤, 元之助 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949797
熊谷, 玄旦 京大総長推薦 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949797
林, 春雄 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949944
宮入, 慶之助 京大総長推薦 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950077
小山, 龍徳 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950145
伊東, 祐彦 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950145
榊, 保三郎(助教授) 大学院卒業(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950145
高山, 尚平 京大総長推薦 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950311
高山, 正雄 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950320
櫻井, 恒次郎 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950344
石原, 誠 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950489
稲田, 龍吉 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950489
石坂, 友太郎(助教授) 大学院卒業(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950532
久保, 猪之吉 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950597
中山, 平次郎 京大総長推薦 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950656
田原, 淳 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950711
旭, 憲吉 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950755
中山, 森彦 論文(京大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950755
中, 金一 論文(東大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950951
武谷, 廣吉 論文(京大) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951546

という結果になった。

20名のうち、該当するのは「京大総長推薦」および「論文(京大)」の6名だけで、その他14名は東京帝国大学で学位を取得したらしい。なお、初の大学院入学者である八代豊雄は大正5年に東大の論文博士になっている。


しきりなおし

このように京都帝国大学の教授が東京帝国大学で学位を取るというのは、なんだか不思議なはなしだけどそういう時代だったということなんだろうか。……ってことは逆に東京帝国大学の教授が京都帝国大学で学位を取ったというケースもありうるんじゃないか、その可能性は潰しておかないといけないんじゃないか、と気づいた。

そういうわけで『医学部二十五年史』の記述は見なかったことにして、あらためて『日本博士録』で京都帝国大学の関わった学位をリストアップし、ひとつひとつ官報で状況をチェックすることにした。

結果は以下のとおり。

年月日 氏名 区分 官報の記述 官報URL
明治36年8月14日 吾妻, 勝剛 総長推薦 京都帝国大学京都医科大学 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949350
明治37年4月29日 岡本, 梁松 総長推薦 京都帝国大学京都医科大学 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949566
明治37年4月29日 平井, 毓太郞 総長推薦 京都帝国大学京都医科大学 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949566
明治37年4月29日 松浦, 有忠太郎 総長推薦 京都帝国大学京都医科大学 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949566
明治37年8月3日 浅原, 慎次郎 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949649
明治37年8月3日 今村, 新吉 論文 京都帝国大学医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949649
明治38年1月23日 熊谷, 玄旦 総長推薦 京都帝国大学福岡医科大学教授 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949797
明治38年4月10日 和辻, 春次 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949862
明治38年4月10日 金子, 治郎 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949862
明治38年12月14日 宮入, 慶之助 総長推薦 京都帝国大学福岡医科大学 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950077
明治38年12月14日 足立, 文太郎 総長推薦 京都帝国大学京都医科大学 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950077
明治39年7月2日 岸, 一太 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950243
明治39年7月2日 高畑, 挺三 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950243
明治39年8月8日 島邨, 俊一 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950275
明治39年9月19日 高山, 尚平 総長推薦 京都帝国大学福岡医科大学教授 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950311
明治40年3月13日 古川, 市次郎 論文 京都帝国大学医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950455
明治40年7月24日 池田, 廉一郎 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950567
明治40年7月24日 宮島, 幹之助 大学院 京都帝国大学大学院に入り http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950567
明治40年8月14日 速水, 猛 論文 京都帝国大学医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950586
明治40年11月6日 中山, 平次郎 総長推薦 京都帝国大学福岡医科大学教授 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950656
明治41年3月9日 中山, 政男 大学院 京都帝国大学大学院に入り http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950755
明治41年3月9日 中山, 森彦 論文 京都帝国大学福岡医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950755
明治41年3月23日 河西, 健次 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950766
明治41年5月11日 多田, 学三郎 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950807
明治41年5月11日 林川, 長兵衛 論文 京都帝国大学福岡医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950807
明治42年3月16日 浅井, 健吉 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951073
明治42年7月24日 井上, 嘉都治 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951182
明治42年7月24日 尾見, 薫 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951182
明治42年7月24日 今, 裕 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951183
明治42年12月27日 高安, 道成 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951306
明治42年12月27日 喜田村, 朔治 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951306
明治43年4月20日 工藤, 外三郎 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951398
明治43年4月20日 安部, 仲雄 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951399
明治43年4月20日 望月, 惇一 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951399
明治43年10月7日 武谷, 廣吉 論文 京都帝国大学福岡医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951546
明治43年11月24日 前田, 松苗 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951585
明治43年11月24日 鳥潟, 隆三 論文 京都帝国大学京都医科大学教授会 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951586

計37名。この数字は、梶田明宏「学位に関する統計」に記載されている京都帝国大学の医学博士授与数とも一致している(というよりも『日本博士録』の記述が若干間違っていたので一致せず、官報を頼りにしたというのが正しい)。ただし、『京都大学百年史』のこの表と数が合わないのは若干気になる。

先ほど心配していたようなケースがあったかどうかは分からなかったけど、上述の6名から漏れていた林川長兵衛を発見できたので再調査の甲斐があった。


まとめ

福岡医科大学が関わった学位は、

という結果で、具体的には、

年月日 氏名 区分
明治38年1月23日 熊谷, 玄旦 総長推薦
明治38年12月14日 宮入, 慶之助 総長推薦
明治39年9月19日 高山, 尚平 総長推薦
明治40年11月6日 中山, 平次郎 総長推薦
明治41年3月9日 中山, 森彦 論文
明治41年5月11日 林川, 長兵衛 論文
明治43年10月7日 武谷, 廣吉 論文

の7名。とはいえこれで本当に正解なのかなあ?


参考:福岡医科大学学位授与資格審査内規(明治40年3月27日制定)

内規が九州大学の『七十五年史』史料編上巻p.238に掲載されていた。

第一条 学位令第二条第一項第一号末文学位授与資格認定の手続は本内規に依るものとす
第二条 論文を受理したるときは之に提出者の履歴書を添へ各教授の閲覧に供したる後ち教授会に於て審査すへきや否やを定む
第三条 論文を審査すへきものと決定したるときは一論文毎に二名以上の審査員を選定して之を審査せしむ
第四条 審査員は論文の要旨を記載して報告すへし
第五条 審査員の報告期日は予め教授会に於て之を定む
第六条 審査員の報告に対しては討論を為さ丶るものとす
第七条 本会の議事は在職教授四分の三以上の出席するにあらされは開くことを得す
第八条 議事の採決は無記名投票を用い其可決は出席教授三分の二以上の多数に依り確定す
第九条 教授にあらさる者にして第三条の審査員に選定せられたるときは本会議に列するも採決の数に加はることを得す
〔註〕『京都帝国大学ニ関スル法令 附事務例規』。

この内規が制定される前にも総長推薦による学位は授与されていたようだが、論文博士は制定後にしか生まれてない。整合性がとれていると考えていいのだろう。